短刀一考
- 智史 廣瀬
- 7月11日
- 読了時間: 2分

夏目漱石の「夢十夜」。
学生時代、何もわからずに読んでいましたが、第二夜に出てくる短刀の描写が、怪しく心に残りました。
刀に宿る根源的な暴力性を、非常に美しく表現しているなぁ…と。
思わず家にあった短刀を引き抜いて、まじまじと眺めたものですが、思えば危ない高校生ですね。そういえば、大刀を毎日抜いて庭で素振りしてましたっけ。
今の時代なら警察に通報されてもおかしくない。
まぁ、時代ですね。
さて、短刀ですが、これはもちろん近接戦闘に用いられるもので、いわば命の最後の一線。
もともと刀自体が大規模な戦に用いられるものではなく、相手に止めを刺す、または自裁するための道具ですから、そこには相応の殺気が宿っているはずです。
夜、古刀の手入れなどをしていると、ゾッとするときがありますね。
顔は見えねど、鎧に身を固めた武者が、命の最期に抜くものとして腰に差した情景がありありと頭に浮かびます。
特に短刀は、その姿がすべて手の内に入ってしまうので、例えば僕が初めて買った文明年期の備前物などは、心が一気に500年以上前に飛ばされてしまうことがよくあります。
そういえばその備前刀、姫路お刀同好会に出した時、一度だけ見えた若い方が、「これ、僕のために打たれた刀じゃないですか?異様に手になじみます」と仰った事がありました。
その時は皆で笑い話にしましたが、実は僕もそういう感覚に襲われてその刀を買ったものですから、その方の言うことはよくわかります。
不思議と新刀には、そういう気持ちは沸かないんですね。明らかに美しく、良い出来ではあるのに。
単なる思い込みとは思いますが、その備前物には朱塗りの拵えを作らなければいけないかもしれません。
拵えが出来たら、「夢十夜」とでも名付けましょうか。
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