ガラス越しに観るということ
- 智史 廣瀬
- 7月10日
- 読了時間: 2分

ガラス越しに観るということが、いかに情報をシャットアウトしているのか、実感したことがありますか?
法隆寺の百済観音。
いつでも宝物館で観られます。ただし、ガラスケース越しに。
初めて観たときには、そのあまりに美しいプロポーションに圧倒されましたが、数回観ていると飽きがきました。
が、令和七年に行われた「超国宝展」で、ガラスを取り払われた百済観音に拝したとき、衝撃を受けました。
こんなに尊いものだったのか。これほどまでに美しいものだったのか。
法隆寺の金堂も、金網が取り払われる時期があります。「金堂修正会」という1月のイベントですが、もしあなたが金堂に行ったことがあるのなら、もう一度この時期に行ってみてください。
息が止まるほど観え方が違いますよ。
あれだけ平板でつまらなく見えた釈迦三尊像が、もの凄い立体感をもって迫ってきます。
四天王も見事です。
と、つらつら書きましたが、要は「ガラス越しでは全然違うよ」ということを言いたい。
さてこと刀になると、こちとら手に取れない刀は観に行こうとも思いませんから(始めたころはメチャクチャ美術館に通ったけどね)、必然的に目に入るのはXなどで流れてくる画像になります。
写真を見るだけで、撮った人が実際に真剣を手に持ったことがあるかどうかが分かります。
全然観えているものが違うのです。
一度でも真剣を手に取った人は、その刀の重量や手持ちを想像しながら撮ります。
そしてさらに、目のある人は見処を外しません(写真に上手く映っているかどうかは別ですけど)。
Xには殆ど滞在しない僕ですが、「この人、何見てるんだろ?」って、写真を見るたびにもったいないなと思ってしまします。だって、わざわざ交通費払って刀を観に行ってるんでしょ?
姫路のような鄙には行けんわ!という方が大半だと思いますが、刀を手に取れる場所なんていくらでもあります。
あなたが違う方向を向いているだけではないですか?
僕の会には大阪、京都から見える方が多いのですが、それこそそちらの方が刀を手に取れる場所は多いのに…。
会に来てくださった方には、聞いてくださればいつでもお伝えします。
ネットに晒すような情報ではありませんので、ここで言えよ!は勘弁してくださいね。
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